豊饒の海

春の雪
春の雪
三島 由紀夫

清顕がここしばらく聡子に会うまいとしているのは、克己のためでもなければ、まして色恋の達人の要に、恋愛の法則に知悉しているためでもなかった。それはいわば彼のぎくしゃくした優雅のため、虚栄心とほとんどすれすれの未熟な優雅のためであった。聡子の優雅の持つみだらなほどの自由が疎ましくそれに引け目を感じてもいた。

仕事がなくなった暇にあかせて、「豊穣の海」読破しました。しばらくは、一般名詞だらけの文体はおなかいっぱいです(上記例)。このおなかいっぱいな感じ、うまく言おうとすると恐ろしく長くなりそうなのですが、略すと、上記例の「優雅」のような一般名詞の使用から作者の世界観が透けて見えて、はじめこそその違和感を面白がっていたものの、満腹を超えた、ということです。「花の美しさなどというものはない、美しい花があるだけだ」です。次はカラマーゾフ

そして、映画化決定・・・春の海だけ。。竹内裕子と妻夫木聡、監督行定勲=単に悲恋ものです。でも、これで泣けるかなあ。